令和2年12月19日(土)、杉本隆晴氏の「宮崎県北は日向神話の本舞台ーニニギノミコトが眠る可愛山陵の真実」と題する講演を拝聴した。講演は、真の可愛御陵(えののみささぎ)は北川町俵野の山陵との結論だった。
その理由は①日本書紀に記された「可愛」を「え」と呼ぶ地は、唯一北川町俵野の地であること。②第十代崇神天皇の勅使が、可愛神社参拝のために、可愛の成就寺の地に宿泊されている事。③江戸時代の尊皇の偉人高山彦九郎が北川の可愛御山陵を参拝している事。
④鹿児島の御陵とされる地は、明治維新後に時の政権(薩摩)と鹿児島の国学者によって治定されたが、その後、宮内省内部から、それに対する疑念が示され、北川町俵野の御陵こそが真実の御陵との調査が入りー「伝承地」から「参考地」に格上げされた事。
⑤宮内省皇后宮職御用掛の吉田鞆子が北川の可愛山陵に参拝し
うつしよの 神につかへて すめみまの 大御陵に ぬかづく我は
の短歌を詠み「文献のいかなるかは問ふに及ばず」とまで書いていること。
時の権力が意図的に治定しようとも、真実を伝える言い伝えが如何に強い力を持っていることか❗