令和2年12月14日(日) 先週は議会の一般質問の週だった。面白い質問は問題の是非を深掘りした質問だ。ある議員が「市民参加条例」(本当はパブリックコメント条例が相応しい)について市長に質問した。
市長は「1人の意見でも採用される」と答えた。同議員は20名の子供がプールを残して欲しいと書いたが、それは実現しなかったと質問した。そのやり取りを聞きながら、1人の意見の採用と20人の子供の要望の却下を決めるのは誰か?。それは市長である。
そうならば、市民参加条例というが、20人の意見が採用されなければ、その20人は何のために要望したのか分からない。不満が残るだけだ。それなら聞かない方が親切というものだ。
市民の声を聞くと言うが、どのように聞くかが問題だ。まずは、市長の基本的考え方があり、その考え方の是非を問い、修正すべきは修正するという姿勢が重要であり、単に調査するだけならば、不誠実の謗りを受けるだろう。
民主主義が多くの人々の叡智を引き出すように働くならば、多くの人々が納得する結果を生むが、一部の恣意的な要求を採用すればば、他の人々の不満が残る。市長の聞く姿勢が問われるところだ。